その1は、下記です。
『炭治郎……』
夢を見ていた。
死んだはずの父さんが、真っ暗な空間の中にぽつんと立っている。
いや、よく見れば、足元があたたかな炎で揺らめている。
『すまない、お前には……茨の道を、進ませてしまう』
とても悲しそうな、後悔しているような匂いがした。
『置き去りにしてすまない、炭治郎――家族を、みんなを頼む』
◇ ◇ ◇
急激に、意識が覚醒し始めた。
重たい瞼を開け、パチパチと二度瞬きをする。
炭治郎には見慣れた天井だ。
いつもの、暮らしている家の天井。
そしていつもの布団の匂い。
深い眠りについていたようだ。
いつもなら家族の中で一番早く起きる炭治郎だが、今日は周りに誰も寝ていない。
結構寝坊をしてしまったようだ。
上体を起こし、布団から出る。
窓の外を見ると、もう日が昇っている時間のようだ。
炭治郎は起き上がって、少し硬くなった身体を伸ばすために背伸びをする。
「……お兄ちゃん?」
「んっ……禰豆子」
家の戸の方を見ると、禰豆子が炭治郎を見て驚き固まっていた。
どうした、と炭治郎が聞く前に、禰豆子は泣きそうになりながら駆け寄って抱きついてきた。
「お兄ちゃん……! 起きてよかった! 大丈夫? 身体、痛いところない?」
「ああ、大丈夫だが……どうしたんだ?」
なんだかわからないが、安心させるように頭を撫でながら炭治郎は聞いた。
「お兄ちゃん、丸二日も寝てたのよ!」
「えっ!? そうなのか!?」
まさか自分がそんなに寝坊をしていたとは思わなかった。
「時々寝ているときに苦しそうにうなされたり、体温もすごい高かったから……お医者さんを呼ぼうってなったんだけど、雪も降ってるから山を降りるのは難しくて……」
「そうだったのか……心配かけて、悪かったな」
禰豆子の背中まで手を回して、抱きしめながら頭を撫でる。
「ううん、無事に起きたなら大丈夫。今は本当に辛くない?」
「ああ、むしろ調子がいいくらいだ」
炭治郎の胸元から顔を見上げた禰豆子が、何かに気づいた。
「あれ、お兄ちゃん。そんなに歯尖ってた?」
「ん? 歯?」
炭治郎は触って確かめてみると、確かに上と下の犬歯が鋭くなっていた。
さすがにこんな鋭くはなかったはずだ。
「なんだろうな、わからないけど……あとで削っておくか?」
「歯を削るのって、なんか怖い……いいんじゃない、そのままで」
「そうか? まあそうかもな」
よくわからないが、歯のことはそのまま何もしないことに。
そして二人は、外へと出て家族に炭治郎が起きたことを知らせた。
その後、炭治郎が起きたと家族みんなが知って、みんな泣いて喜んだのは言うまでもない――。
◇ ◇ ◇
炭治郎が眠りから覚めた、その日の夜の明け方。
いつも通り、炭治郎はみんなよりも早く起きて、木を切っていた。
今日は雪も降っておらず、まだ暗いがそろそろ日が出る頃だろう。
「お兄ちゃん、おはよう」
「禰豆子、おはよう。今日は早いな」
「お兄ちゃんこそ。病み上がりなのに、そんな早く起きなくてもいいんだよ」
「大丈夫。病気にかかってたって感じじゃないし」
炭治郎はそのまま木を切って、禰豆子はその辺で薪になる細い枝などを拾って回る。
すると……炭治郎が、あることに気づく。
「……禰豆子、また誰かがこっちまで来てる」
「えっ……もしかして、前の人……?」
「いや、匂いが違う。だけど普通の人じゃない、すごい速さだ」
炭治郎の本気の速度と並ぶぐらいの速度で、炭治郎と禰豆子の元に来ている。
「禰豆子、家に……」
入れ、という前に、禰豆子が必死に叫ぶ。
「嫌よ! お兄ちゃんが前に一人で怖い人と戦って、それで二日間も眠ったままだったから! 絶対に一人にしない!」
「禰豆子……」
禰豆子は炭治郎が眠っていた二日間、そのことでずっと後悔していた。
実際、あの時禰豆子が外に出ていたら、禰豆子は死んでいた可能性が高い。
しかしそれでも、大事な家族である炭治郎が一人で戦って、一人で苦しんでいるのが辛かった。
眠っていたのは二日だけだったが、とても長い二日に感じた。
もうこのまま目覚めず、死んでしまったらという嫌な想像を何度もした。
だから、そんな後悔をまたしたくない。
絶対に炭治郎を一人にするわけにはいかない。
「……わかった。禰豆子、俺の後ろにいろ」
「っ! うん、ありがとう」
炭治郎はその人が来るであろう方向を真正面に捉え、禰豆子は炭治郎の背中側に回った。
そして数秒後、その人物が来た。
上から落ちてくるように目の前に着地した。
雪が積もっているのにもかかわらず、とても静かな着地だった。
まるで流れに逆らわない、水のような。
その人物――冨岡義勇は、目の前の二人に戸惑っていた。
お館様のご命令で、義勇はこの山の中を調査していた。
なんでもお館様の勘が、この山には何かがあると囁いていたようだ。
『鬼舞辻無惨を倒すために必要な、何かが……あると思うんだ。柱の君達に、任せたよ』
そう言われてここに来たのだが……今目の前にいる相手は、おそらく――鬼だ。
階級が柱である義勇でさえ、ここまで近づいてようやく鬼とわかるぐらい、鬼の気配が薄い。
普通の鬼ならば見た目でもわかるものだが、この鬼は見た目は完全に普通の人間だ。
鬼っぽいところを挙げるとするのであれば、瞳孔が少し縦になっていて、犬歯が人よりも鋭いだけ。
鬼殺隊の一般隊士だったら、鬼だと気づかないだろう。
「……鬼、その娘から離れろ」
ただ、鬼は鬼。
見ると後ろにはどこからか攫ったのか、綺麗な娘がいる。
まだどこも怪我をしていないようだ。
なぜこんな山奥に鬼が人間を喰らわずにいるのかわからないが、人質に捕らえられているのであれば不利である。
「……鬼、ってなんですか? 俺のことですか?」
鬼の男は本当にわからなそうにそう言った。
自分が鬼になったことが、わからないのか?
「……他の鬼に会わなかったか? 傷口にその鬼の血を浴びたら、人喰い鬼になる」
「っ! まさか、あの時……!」
やはり身に覚えがあるようだ。
「そして俺は……人喰い鬼を、殺さなければならない」
「っ!」
義勇が日輪刀を抜いて構えると、鬼も持っていた斧を構える。
「っ! お前、呼吸を……!」
鬼が構えた瞬間、空気が変わったのがわかった。
いや、義勇が気づかなかっただけだ。
鬼は、今までずっと全集中の常中をしていた。
鬼が呼吸を使うなど……見たことがなかった。
もともと鬼殺隊なのか?
いや、そんな風には見えない。
ならば鬼殺隊ではないのに、自己流で呼吸法を知り、全集中の常中までこなしているのか。
(こいつは、ここで殺さないといけない)
ただでさえ人間よりも身体能力が高い鬼が、鬼と戦うために人間が開発した呼吸法を使っている。
柱以外の階級では、太刀打ち出来ないだろう。
義勇はそう思い、戦おうとしたが――。
「――待って!!」
鬼の後ろにいた娘が、鬼の前に守るように出てきた。
「禰豆子!!」
「お兄ちゃんは、人喰い鬼なんかじゃない! だから殺さないで!」
「……なに? 兄だと?」
鬼が攫った娘だと思っていたが、まさかの血縁だった。
「禰豆子! 危ないから後ろに下がってろ!」
「だって! そうしないとお兄ちゃんが殺されちゃう!」
禰豆子は、兄の炭治郎が並外れて強いことを知らない。
兄が人よりも運動神経が優れていることはわかっているが、まず比べる相手もあまりいなかった。
だからどれくらい優れているのか、客観的にはわからない。
そして戦った姿も見たことがないので、目の前の刀を持っていて、どう見ても強そうな人と戦ったら、殺されると考えていた。
実際、義勇の見立てからすると炭治郎の戦闘力は、自分一人じゃ勝てない。
一緒に来ている柱の者と共闘して五分五分に持っていけるか、ぐらいだったが。
「お兄ちゃんは人を殺さない! お兄ちゃんが鬼になってたとしても! そんなの関係ない! 私の家族は殺させない!」
「……っ!」
確かに義勇は、目の前の鬼が人を殺していると判断出来なかった。
今まで斬ってきた鬼達は、全員が人を騙し、人を殺し、人を喰らって生きていた。
目が腐っていて、性根も腐っているような鬼ばかり。
しかし、今目の前にいる鬼は――。
いきなり目の前に立ち塞がった妹を後ろに下がらせようとする、優しい思いやり。
そして義勇が妹を襲おうとしないか、油断なくこちらにも注意を払っているのがわかる。
(この鬼は……何か、違うのかもしれない)
そう思った瞬間、お館様の言葉を思い出した。
『鬼舞辻無惨を倒すために必要な、何かが……あると思うんだ』
もしかしたらこいつが、鬼舞辻無惨を倒す――鬼殺隊の長年の敵を、倒しうる何かに値するのかもしれない。
義勇は日輪刀を鞘に納めた。
兄の鬼の方は驚き、妹の方は安心したように笑みを浮かべた。
「何があったか、話せ。斬らないか決めるのは、それからだ」
◇ ◇ ◇
水柱、冨岡義勇。
その者と同じ任務にあたっていた、鬼殺隊の柱の一人。
「うーん、こちらには何もないみたいね」
女性にして、鬼殺隊の柱まで至った者。
「冨岡くんは、まだ集合場所には来ていないみたいですね……」
山の西の方を、その女性が。
反対の東を、冨岡義勇が見て回ることになっていた。
「何かあったのかしら?」
その女性は雪の山を駆ける。
その女性が着ている羽織りは、美しい蝶の羽を模した柄になっていた――。
次の話はこちらです。
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